日本印刷株式会社 109年のあゆみ

日本印刷株式会社 109年のあゆみ

1919年(大正8年)

岐阜市泉町に移転し、若山印刷所とする。同じ年岐阜市今小町に文房具関係の若山商店を移転営業。

1921年(大正10年)

岐阜市東住田町に印刷工場新築移転。

1925年(大正14年)

若山俊雄(2代目社長、明治42年1月1日、安八郡神戸町に生まれる)旧制中学課程を終え、家業に従事。(この間、若山才治郎は薄利多売の商法で業務拡張を図る)

1912年(大正元年)

初代 代表取締役社長 若山 才治郎若山才治郎(日本印刷株式会社初代社長、明治25年4月10日、安八郡神戸町に生まれる)が岐阜市木造町に文房具商と印刷業の若山商店を開業。

1924年(大正13年)

今沢町戦前のビル岐阜市今沢町に移り、若山印刷所と若山商店を同一場所で営業。




1933年(昭和8年)

若山才治郎、39歳で岐阜商工会議所1号議員に最高点で初当選。最年少議員として注目される。以後31年間にわたる会議所議員生活が始まる。(若山俊雄も戦後、会議所議員となり、活躍)会議所議員生活

1938年(昭和13年)

若山才治郎、岐阜県印刷工業組合理事長となる。    

1944年(昭和19年)

若山俊雄、海軍に応召。(20年8月、鹿児島県鹿屋特攻基地から復員)




1946年(昭和21年)

若山才治郎、戦後統制経済下に組織された岐阜県家庭用雑貨組合理事長となる。

1948年(昭和23年)9月

文部省教科書印刷指定工場となる。

1947年(昭和22年)5月

岐阜市今小町に日本印刷株式会社を設立。
社長若山才治郎、専務に若山俊雄が就任。3つの夢実現に闘志を燃やす。
①県下で指折りの印刷会社になる
②カラー印刷に取り組む
③学術研究論文や貿易カタログの制作

1949年(昭和24年)4月

通産省ノ−ト印刷指定工場となる。




1955年(昭和30年)

労働問題起こる。解決と同時に近代的で、かつ合理的な労使関係、労務管理体制の確立を進める。

1956年(昭和31年)1月

名古屋支社を開設。(この年、政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言、高度成長時代の幕開けを告げる。)


1958年(昭和33年)6月

株式会社ニッポンセイハンとして製版部門を分離独立。(東京五輪で登場したカラーTVがきっかけで新聞、出版業界もカラー化に入る。その時流を見すえてのグラビア対策であった。)

1958年(昭和33年)7月

第二代 代表取締役社長 若山 俊雄会長に若山才治郎、社長に若山俊雄が就任。


日本印刷 創業10周年


1959年(昭和34年)

戦後本社ビル(昭和35年)3つの夢の実現と新時代への即応をねらって大規模な組織改造を計画。
7月 写真製版部門を若山商会へ移す。活版部門を中部日本印刷株式会社として分離独立。(本社・岐阜市本町)

1961年(昭和36年)2月

岐阜市鷹見町の本社ビル 岐阜市鷹見町に本社ビル完成。





1962年(昭和37年)

2月 労働問題以後積極的に取り組んだ労使関係、労務管理などへの努力が実り、一般労働条件部門、労使関係部門、安全福祉部門の中小企業労務管理標準事業所となる。

製本部10月 日本製本株式会社を設立し製本部門を分離独立。(本社・岐阜市高岩町)




1964年(昭和39年)4月

グラビア部門を分離独立、株式会社ニッポングラビヤを設立。

グラビヤ印刷機

1966年(昭和41年)2月

専務に若山晃一が就任。

1967年(昭和42年)

4月 岐阜市島新町にグラビア工場を設立。

8月 岐阜市折立に本社第2工場を新設。

1968年(昭和43年)

11月 若山才治郎 勲5等双光旭日章

1969年(昭和44年)8月

岐阜市田神町にグラビア製版工場を移設。

2月 若山才治郎 紺綬褒章 正六位

2月16日 若山才治郎死去。


 

1970年(昭和45年)3月

岐阜市折立にデザインから製本までを扱う総合工場完成。


1972年(昭和47年)5月

日本印刷グループの労務、厚生、計算部門を一本化した協同組合日本印刷センターを設立。理事長に若山俊雄が就任。

日本印刷 創業60周年

1973年(昭和48年)1月

岐阜市折立の本社ビル岐阜市折立に本社を移す。




1976年(昭和51年)9月

9.12豪雨で伊自良川決壊長良川本支流が氾濫、本社・工場の1階と2階の一部が水浸する。復旧まで2カ月を要し、その被害総額約2億円に達す。
12月 岐阜市折立に新社屋ビル竣工。

9.12豪雨

1978年(昭和53年)2月

副社長に若山晃一、常務に若山和正が就任。        

1981年(昭和56年)5月

株式会社ワカヤマ事務機創業の原点、若山商会が本社ビルを新築、株式会社ワカヤマ事務機と社名変更(社長若山俊雄)スクリーン印刷などの新事業を営業品目に加える。


1982年(昭和57年)12月

創業70周年を迎え、岐阜グランドホテルにて記念式典を挙行。

日本印刷 創業70周年

 

1983年(昭和58年)11月

若山俊雄 勲5等瑞宝章

 


1984年(昭和59年)7月

スタジオフラッシュ岐阜市六条大溝に、スタジオ部門、スタジオフラッシュを開設。

1984年(昭和59年)2月

第三代 代表取締役社長 若山 晃一会長に若山俊雄、社長に若山晃一が就任。


 

1988年(昭和63年)5月

中小企業庁合理化モデル工場指定
<優良企業指定>

1990年(平成2年)11月

岐阜北税務署優良法人指定
<優良企業指定>


1992年(平成4年)7月

創業80周年を迎え、グアム島にて記念祝典を行い、全社員が海外旅行を楽しむ。日本印刷 創業80周年

 




1994年(平成6年)8月

参加10社が結集する団地建設工事が完成。21世紀へ向けて“アートとアクティビティ”
(最高の美と技術を求めて躍動する)の基地として、本巣市海老に本社を移転。
組合会館で関係当局を招き竣工式を挙行。
10月 各界の知名士を招き、日本印刷グループの完成披露を行い同時に関連4社も披露する。

本巣市海老の本社

協同組合エーアンドエー参加企業

日本印刷グループ6社(日本印刷株式会社、中部日本印刷株式会社、日本製本株式会社、株式会社ニッポングラビヤ、株式会社ニッポンセイハン、株式会社ワカヤマ事務機)
株式会社トコロ、オゼキ紙商事株式会社、杉浦紙工株式会社、株式会社尾崎写植

1993年(平成5年)4月

計画中の日本印刷グループ6社と印刷関連企業4社による協同組合が結成される。組合名称を「エーアンドエー」と決定。本巣市海老に用地取得、印刷関連団地の建設に着手。

副社長 若山 和正10月 副社長に若山和正が就任。印刷関連団地の建設に着手

本巣市海老に本社を建設

1995年(平成7年)7月

第四代 代表取締役社長 若山 和正若山和正が社長に就任。


株式会社スタジオフラッシュを設立しスタジオ部門を分離独立。


1997年(平成9年)

名古屋市西区名駅に株式会社日本印刷中部本社を移転。

1999年(平成11年)

株式会社ワカヤマ事務機を株式会社ワカヤマに社名変更。

2005年(平成17年)

プライバシーマーク取得。

1996年(平成8年)

中小企業庁合理化モデル工場指定表彰受賞。(9年連続)
岐阜北税務署優良申告法人表彰受賞。
(6年連続)
名古屋支社を株式会社日本印刷中部本社に改組独立。
東京都渋谷区初台に東京営業所を開設。

2003年(平成15年)

株式会社日本印刷中部本社、中部日本印刷株式会社、日本製本株式会社、株式会社スタジオフラッシュ、株式会社ニッポングラビヤ、株式会社ニッポンセイハンの6社を日本印刷株式会社に統合。


2012年(平成24年)9月15日

創業100周年を迎え、岐阜グランドホテルにて記念式典を挙行。

日本印刷 創業100周年

2017年(平成29年)5月

災害時における施設開放に関する覚書・公害防止協定を本巣市と締結。地域貢献の深耕。

災害時における施設開放に関する覚書を本巣市と締結

2010年(平成22年)4月

第五代 代表取締役社長 若山 雅彦会長に若山和正、社長に若山雅彦が就任。


2015年(平成27年)

全印工連 CSR ワンスターに認定。

2018年(平成30年)

4月 名古屋営業所を改装。

9月 献血の協力に対し、岐阜県知事から
表彰。岐阜県知事から献血の協力に対し、表彰授与


2019年(平成31年)3月

東京都渋谷区初台に東京営業所を移転。

2019年(令和1年)12月

工場を高演色LED化。工場を高演色LED化

2020年(令和2年)2月

SDGsへの取り組みを公開。

2020年(令和2年)6月

第48回 岐阜広告協会賞を受賞。

2021年(令和3年)1月

「本巣市 結婚・子育てアドバンス企業」に認定。「本巣市 結婚・子育てアドバンス企業」に認定