日本印刷株式会社
110余年のあゆみ
1912−1925
大正元年が創業元年
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1912年 大正元年
若山才治郎(日本印刷株式会社初代社長、明治25年4月10日、安八郡神戸町に生まれる)が岐阜市木造町に文房具商と印刷業の若山商店を開業。
初代 代表取締役社長
若山 才治郎
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1919年 大正8年
岐阜市泉町に移転し、若山印刷所とする。同じ年岐阜市今小町に文房具関係の若山商店を移転営業。
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1921年 大正10年
岐阜市東住田町に印刷工場新築移転。
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1924年 大正13年
岐阜市今沢町に移り、若山印刷所と若山商店を同一場所で営業。
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1925年 大正14年
若山俊雄(2代目社長、明治42年1月1日、安八郡神戸町に生まれる)旧制中学課程を終え、家業に従事。(この間、若山才治郎は薄利多売の商法で業務拡張を図る)
1933−1944
地域社会や業界で評価高まる
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1933年 昭和8年
若山才治郎、39歳で岐阜商工会議所1号議員に最高点で初当選。最年少議員として注目される。以後31年間にわたる会議所議員生活が始まる。(若山俊雄も戦後、会議所議員となり、活躍)
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1938年 昭和13年
若山才治郎、岐阜県印刷工業組合理事長となる。
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1944年 昭和19年
若山俊雄、海軍に応召。(20年8月、鹿児島県鹿屋特攻基地から復員)
1946−1949
焦土からの産ぶ声
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1946年 昭和21年
若山才治郎、戦後統制経済下に組織された岐阜県家庭用雑貨組合理事長となる。
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1947年 昭和22年5月
岐阜市今小町に日本印刷株式会社を設立。
社長若山才治郎、専務に若山俊雄が就任。3つの夢実現に闘志を燃やす。- ①県下で指折りの印刷会社になる
- ②カラー印刷に取り組む
- ③学術研究論文や貿易カタログの制作
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1948年 昭和23年9月
文部省教科書印刷指定工場となる。
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1949年 昭和24年4月
通産省ノ−ト印刷指定工場となる。
1955−1962
体質改善と合理化に英断
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1955年 昭和30年
労働問題起こる。解決と同時に近代的で、かつ合理的な労使関係、労務管理体制の確立を進める。
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1956年 昭和31年1月
名古屋支社を開設。(この年、政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言、高度成長時代の幕開けを告げる。)
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1958年 昭和33年6月
株式会社ニッポンセイハンとして製版部門を分離独立。(東京五輪で登場したカラーTVがきっかけで新聞、出版業界もカラー化に入る。その時流を見すえてのグラビア対策であった。)
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1958年 昭和33年7月
会長に若山才治郎、社長に若山俊雄が就任。
第二代 代表取締役社長
若山 俊雄
日本印刷 設立10周年
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1959年 昭和34年
3つの夢の実現と新時代への即応をねらって大規模な組織改造を計画。
7月 写真製版部門を若山商会へ移す。活版部門を中部日本印刷株式会社として分離独立。(本社・岐阜市本町)
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1961年 昭和36年2月
岐阜市鷹見町に本社ビル完成。
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1962年 昭和37年
2月 労働問題以後積極的に取り組んだ労使関係、労務管理などへの努力が実り、一般労働条件部門、労使関係部門、安全福祉部門の中小企業労務管理標準事業所となる。
10月 日本製本株式会社を設立し製本部門を分離独立。(本社・岐阜市高岩町)
1964−1973
グラビア印刷への取り組み
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1964年 昭和39年4月
グラビア部門を分離独立、株式会社ニッポングラビヤを設立。
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1966年 昭和41年2月
専務に若山晃一が就任。
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1967年 昭和42年
4月 岐阜市島新町にグラビア工場を設立。
8月 岐阜市折立に本社第2工場を新設。
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1968年 昭和43年
11月 若山才治郎 勲5等双光旭日章
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1969年 昭和44年8月
岐阜市田神町にグラビア製版工場を移設。
2月 若山才治郎 紺綬褒章 正六位
2月16日 若山才治郎死去。
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1970年 昭和45年3月
岐阜市折立にデザインから製本までを扱う総合工場完成。
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1972年 昭和47年5月
日本印刷グループの労務、厚生、計算部門を一本化した協同組合日本印刷センターを設立。理事長に若山俊雄が就任。
日本印刷 創業60周年
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1973年 昭和48年1月
岐阜市折立に本社を移す。
1976−1993
災害との闘いと新体制の確立
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1976年 昭和51年9月
9.12豪雨で伊自良川決壊長良川本支流が氾濫、本社・工場の1階と2階の一部が水浸する。復旧まで2カ月を要し、その被害総額約2億円に達す。
12月 岐阜市折立に新社屋ビル竣工。
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1978年 昭和53年2月
副社長に若山晃一、常務に若山和正が就任。
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1981年 昭和56年5月
創業の原点、若山商会が本社ビルを新築、株式会社ワカヤマ事務機と社名変更(社長若山俊雄)スクリーン印刷などの新事業を営業品目に加える。
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1982年 昭和57年12月
創業70周年を迎え、岐阜グランドホテルにて記念式典を挙行。
日本印刷 創業70周年
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1983年 昭和58年11月
若山俊雄 勲5等瑞宝章
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1984年 昭和59年2月
会長に若山俊雄、社長に若山晃一が就任。
第三代 代表取締役社長
若山 晃一
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1984年 昭和59年7月
岐阜市六条大溝に、スタジオ部門、スタジオフラッシュを開設。
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1988年 昭和63年5月
中小企業庁合理化モデル工場指定
<優良企業指定> -
1990年 平成2年11月
岐阜北税務署優良法人指定
<優良企業指定> -
1992年 平成4年7月
創業80周年を迎え、グアム島にて記念祝典を行い、全社員が海外旅行を楽しむ。
日本印刷 創業80周年
1993-
新世紀へ向けての躍動
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1993年 平成5年4月
計画中の日本印刷グループ6社と印刷関連企業4社による協同組合が結成される。組合名称を「エーアンドエー」と決定。本巣市海老に用地取得、印刷関連団地の建設に着手。
10月 副社長に若山和正が就任。
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1994年 平成6年8月
参加10社が結集する団地建設工事が完成。21世紀へ向けて“アートとアクティビティ”
(最高の美と技術を求めて躍動する)の基地として、本巣市海老に本社を移転。
組合会館で関係当局を招き竣工式を挙行。10月 各界の知名士を招き、日本印刷グループの完成披露を行い同時に関連4社も披露する。
- 協同組合エーアンドエー参加企業
- 日本印刷グループ6社(日本印刷株式会社、中部日本印刷株式会社、日本製本株式会社、株式会社ニッポングラビヤ、株式会社ニッポンセイハン、株式会社ワカヤマ事務機)
株式会社トコロ、オゼキ紙商事株式会社、杉浦紙工株式会社、株式会社尾崎写植
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1995年 平成7年7月
若山和正が社長に就任。
株式会社スタジオフラッシュを設立しスタジオ部門を分離独立。
第四代 代表取締役社長
若山 和正
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1996年 平成8年
中小企業庁合理化モデル工場指定表彰受賞。
(9年連続)
岐阜北税務署優良申告法人表彰受賞。
(6年連続)
名古屋支社を株式会社日本印刷中部本社に改組独立。
東京都渋谷区初台に東京営業所を開設。 -
1997年 平成9年
名古屋市西区名駅に株式会社日本印刷中部本社を移転。
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1999年 平成11年
株式会社ワカヤマ事務機を株式会社ワカヤマに社名変更。
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2003年 平成15年
株式会社日本印刷中部本社、中部日本印刷株式会社、日本製本株式会社、株式会社スタジオフラッシュ、株式会社ニッポングラビヤ、株式会社ニッポンセイハンの6社を日本印刷株式会社に統合。
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2005年 平成17年
5月 プライバシーマーク取得。
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2010年 平成22年4月
会長に若山和正、社長に若山雅彦が就任。
第五代 代表取締役社長
若山 雅彦
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2012年 平成24年9月15日
創業100周年を迎え、岐阜グランドホテルにて記念式典を挙行。
日本印刷 創業100周年
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2015年 平成27年
全印工連 CSR ワンスターに認定。
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2017年 平成29年5月
災害時における施設開放に関する覚書・公害防止協定を本巣市と締結。地域貢献の深耕。
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2018年 平成30年
4月 名古屋営業所を改装。
9月 献血の協力に対し、岐阜県知事から表彰。
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2019年 平成31年
3月 東京都渋谷区初台に東京営業所を移転。
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2019年 令和1年
12月 工場を高演色LED化。
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2020年 令和2年
2月 SDGsへの取り組みを公開。
6月 第48回 岐阜広告協会賞を受賞。
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2021年 令和3年
1月 「本巣市 結婚・子育てアドバンス企業」に認定。
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2022年 令和4年
6月 第50回 岐阜広告協会賞を受賞。
10月15日 日本印刷 創業110周年